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東京地方裁判所 昭和45年(レ)203号 判決

控訴人 岩月興業株式会社

右代表者代表取締役 岩月藤一

右訴訟代理人弁護士 今川一雄

同 田辺勲

同 児玉安正

同 斉藤善夫

被控訴人 鴨沢華子こと 井上ハナ

右訴訟代理人弁護士 森田洲右

主文

本件控訴を棄却する(ただし、原判決主文第一項を「被告より原告に対する東京簡易裁判所昭和三七年(イ)第九三〇号家屋明渡和解調書第四項の執行力ある正本および同裁判所昭和四一年(イ)第二六〇号家屋明渡和解調書第三項の執行力ある正本に基づく強制執行はこれを許さない。」と更正する。)。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(控訴人)

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じて被控訴人の負担とする。

との判決。

(被控訴人)

主文第一項同旨の判決。

第二当事者の主張

(被控訴人の主張)

一、被控訴人と控訴人との間には、別紙物件目録記載の建物(以下本件建物という)について、東京簡易裁判所昭和三七年(イ)第九三〇号家屋明渡和解調書(同年一一月二六日成立、以下第一回調書という。)および同裁判所昭和四一年(イ)第二六〇号家屋明渡和解調書(同年五月一三日成立、以下第二回調書という。)が存在し、右二通の調書には、それぞれ和解条項として、原判決別紙一、同二各記載のとおりの内容が記載されている(ただし、右別紙一の裏一行目に「本件家屋」とあるを「本件家屋の明渡」と訂正する。)。

二、しかしながら、第一回調書第四項および第二回調書第三項は、次の理由により執行力を有しないものである。

(一) 第一、二回調書は、被控訴人を本件建物の不法占有者として、その明渡猶予期間を定めた形式になっているが、その実質は賃貸借契約を締結したものである。すなわち、被控訴人は、右第一回和解成立に際し本件建物を控訴人から、第一回調書記載の期間、賃料(名目は損害金)、敷金(名目は損害金保証金)をもって賃借し、第二回和解に際しこれを更新したのである。

したがって、右賃貸借契約は、借家法の適用を受けるべきところ、第一回調書の第四項および第二回調書の第三項に記載された合意は、賃借人たる被控訴人に不利な特約であるから、同法第六条により無効である。

(二) 原判決事実摘示中、被控訴人の請求原因(二)および(三)(原判決二枚目表八行目から三枚目表七行目まで)と同一であるから、これを引用する。

三、よって、被控訴人は、第一回調書第四項および第二回調書第三項の執行力の排除を求める。

≪以下事実省略≫

理由

控訴人と被控訴人との間に、被控訴人主張の各日時に成立した和解調書(第一・二回調書)が存在し、それらには、それぞれ和解条項として被控訴人主張のとおりの記載がなされていることは当事者間に争いがない。

そこで、本件建物を賃借した旨の被控訴人の主張第二項(一)について判断する。

まず、右各和解条項によると、右各和解において、被控訴人は、本件建物を不法に占有しているものであることを認め、控訴人は被控訴人の本件建物の明渡を一定期間猶予するものとしている。そして、≪証拠省略≫を総合し、第一回調書中の右和解条項(なお、原判決添付別紙一掲記以外の部分について≪証拠省略≫)と比較検討すると、被控訴人は、第一回調書成立より前である昭和三七年九月一一日頃控訴人に対し、右調書の和解条項と同趣旨のことを約しかつその旨の和解をする旨をそれぞれ記載した念書を差入れたこと、被控訴人は、同年一〇月以降毎月控訴人に対し本件建物の利用についての約定金額を支払うようになったが、その都度右支払について領収印を得ていた被控訴人保管の通帳には、損害金領収証と表示されていたことを認めることができる。

しかして、和解調書の記載内容はもとより、右のような念書等の記載についても、元来表示されている文言を重視すべき筋合のものであるから、右和解に際し控訴人と被控訴人との間に本件建物について賃貸借契約が成立した旨の被控訴人の主張は、これとまったく相容れないいわば正反対の右和解条項等の趣旨を否定しうるだけの特段の事情がない限り採用するに由ないものというべきである。

そこで、そのような特段の事情の有無を検討するに、まず被控訴人の本件建物の利用について同人と控訴人との間には賃貸借契約書が存在した旨の≪証拠省略≫の記載部分は、≪証拠省略≫に照らして信用しない。

しかしながら、被控訴人が本件建物を使用するに至った経緯をみるに、≪証拠省略≫を総合すると、被控訴人は、かねてからすし屋営業用の店舗を物色していたところ、昭和三七年六、七月頃鈴木二郎、天野健児の両名から、本件建物をバー営業のために使用している福村孝子を紹介され、右鈴木、天野の仲介により福村から本件建物の使用関係における使用権に伴う地位(以下単に使用関係という。)を代金三五〇万円で譲受けることになったこと、被控訴人は、その頃控訴会社の本件建物関係の担当者大武専務に交渉し、右のとおり本件建物の使用関係を譲受けてその内部を改造することについての承諾を得ると共に、本件建物使用の期間、対価等についても折衝したこと、その後被控訴人の資金調達の都合上福村から被控訴人への本件建物の使用関係の引継は幾分延びたが、そのめどのついた同年九月頃に至って、被控訴人と福村および控訴人との間の右各関係事項は確定的に取り決められ、被控訴人は、控訴人承諾のもとに福村の本件建物についての賃借権を譲受けたものと考えていたこと(なお、被控訴人は、その当時、福村と控訴人との間にも本件建物の利用関係について後記のとおり裁判上の和解が成立していたことをまったく知らなかったこと)、被控訴人は、このような状況のもとにありながら、その頃控訴人に前掲念書を差入れたが、右念書は控訴人が文面をすべて記載して用意したものに求められるままに署名したものであって、その内容の意味するところを十分理解していたものではなく、要は、福村に約定の譲受代金を支払えばこれが本件建物の使用関係についてのいわゆる権利金であり、控訴人に月々約定の金額を支払えばこれが賃料であって、それらの支払をきちんと履行しさえすれば本件建物を継続して利用しうる地位に関し特段の問題が生ずるものではないと考えていたこと、被控訴人は、同年一〇月中旬平和相互銀行から五〇〇万円を借入れ、福村に右代金三五〇万円を完済し、他方その頃から同年一一月にかけ七六万余円を投じて本件建物内部の改装工事を遂げた上、ここですし屋を開店し、爾来その営業を継続しているものであることを認めることができる。≪証拠判断省略≫

そしてさらに、本件各和解成立のいきさつ、前示明渡猶予条項以外の右和解の内容、本件建物を被控訴人に使用させるについての控訴人の意図などを検討するに、控訴人被控訴人間に特別第一・二回調書のような裁判上の和解をしなければならない程の紛争があったことを認めるに足りる証拠はない(本件第一回和解が成立するに至ったのは、被控訴人が無断で本件建物に入居しこれを改造しているのを控訴人において発見し両者の間に紛争が生じたことが端緒となったものである旨の≪証拠省略≫および控訴会社代表者本人の供述は信用しない)。かえって、≪証拠省略≫によれば、被控訴人は、本件各和解についても、先きに認定したような同人の本件建物の使用権原についての考え方のもとに漫然と応じたに過ぎないものと認められ、また≪証拠省略≫によると、福村においても本件の如く少くとも前後二通の和解調書が本件建物の使用関係について作成されていたもので、その内容は本件各調書の内容と同趣旨のものであることが認められる。ところで、右≪証拠省略≫によれば、福村の控訴人に対する本件建物利用についての支払金は、昭和三六年一二月成立の和解においては月四万円とされていたのに対し、前掲の本件各和解条項によると、被控訴人が控訴人に支払うこととされている右同趣旨の支払金は、名目は損害金であるにせよ、第一回和解においては月四万五〇〇〇円、第二回和解においては、昭和四一年三月にさかのぼって月四万九五〇〇円、同年六月以降五万二〇〇〇円と通常の賃料並みに順次増額され、しかも第二回和解においては所定の期間中でもその増額をなしうるものとされており、また右各和解においては被控訴人が控訴人に保証金を納入すべきものとされているところ、その額は、第一回和解においては所定の右支払額の六か月分であるのに、第二回和解においてはその九か月分とされているものである。のみならず、≪証拠省略≫によると、控訴人は、第二回和解の所定期間の満了が近づいた頃には、被控訴人に対しその期間の二年延長を書面で誘引しており、右書面においては、「賃料(損害金)」なる表題のもとにこれを五万七二〇〇円に増額し、「敷金」を五一万四八〇〇円とする旨を申入れていることを認めることができる。被控訴人の控訴人に対する月々の支払金ないし保証金などについての右認定事実によると、控訴人においては、後記認定のとおり本件建物の敷地にビル建設の予定があったにせよ、それが本格化しないままに、被控訴人に本件建物を使用させることにより有効に収益を上げることを意図していたことを窺い知ることができる。しかも、控訴人が被控訴人に右のとおり多額の保証金などを要求することとしていたところからすると、控訴人の真意は、明渡猶予の条項とは裏腹に、被控訴人が本件建物を相当期間継続して使用することを容認する意図であったものというべきである。何となれば、元来保証金・敷金の額は、通常或る程度長期間の賃貸中に賃料の延滞を生ずる場合に備える性質のものであり、またもし本件各和解所定の期間が文字どおり明渡猶予のためのものであるならば、控訴人は、被控訴人が前記のとおりの月々の支払金を二か月分以上延滞した場合には、期限猶予の利益喪失により本件建物を明渡す旨の条項(第一回和解においてもかかる条項の存することは≪証拠省略≫により認める。)に基づく強行手段により被控訴人にその明渡をせまることが容易にできるもので、特に多額の保証金を差入れさせる必要はない筈だからである。

以上の認定および判断にかかる諸般の事情に照らして考えると、冒頭に示した第一・二回調書の明渡猶予条項や念書等の記載には、これを文字どおり解釈することのできない特段の事情があり、右各明渡猶予条項は、控訴人としては各和解当時右条項に従って被控訴人に本件建物の明渡を求める意図は別段具体化していたわけではないのに、被控訴人の無思慮に乗じて簡易な起訴前の和解制度を利用し、おそらくは借家法の拘束を免れるための便法として成立させたにすぎないものであって、それらの記載にも拘らず、実は右各和解に際し、控訴人と被控訴人との間には、被控訴人主張のとおり本件建物の賃貸借契約が成立しかつこれが更新されたものと解するのが相当である。

次に、一時使用の賃貸借である旨の控訴人の主張について考えてみるに、前記のとおり当事者間に争いのない本件各調書の和解条項によれば、被控訴人が本件建物を使用しうる期間を第一回調書では三年半、第二回調書では二年と限っているところ、≪証拠省略≫によれば、右の期間の定めは、控訴人においては、本件建物の敷地にビル建設の予定があったため、それが具体化するまで本件建物を使用させるつもりであったことによるものと認めることができるが、先きに認定したとおり、控訴人は被控訴人が本件建物をすし屋用に内部改造することを承認していたこと、控訴人のビル建築予定は、被控訴人に本件建物を使用させる当時はまだ文字どおりの予定の段階で、その後も本格化しないまま経過したこと、昭和四三年には控訴人から二年間の延長を誘引していることを併せ考えると、前記事実があるからといって、控訴人と被控訴人との間の本件建物の使用関係を、一時使用のための賃貸借であると認めることはできない。そして、他に控訴人の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

そうすると、被控訴人は控訴人から第一・二回調書によって、本件建物を賃借したものであり、右賃貸借契約は借家法の適用を受けることになるから、第一回調書の第四項および第二回調書の第三項の合意は、賃借人たる被控訴人に不利な特約として同法第六条により締結されなかったものとみなされる。

右によれば、その余の点を判断するまでもなく、第一回調書の第四項および第二回調書の第三項の各執行力の排除を求める被控訴人の本訴請求は理由があり原判決は相当であるから、本件控訴を棄却することとし(ただし、原判決主文第一項の趣旨を明らかにするため、主文のとおり更正する。)、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九五条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 倉田卓次 裁判官 奥平守男 相良朋紀)

〈以下省略〉

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